ある教える人の頭の中

教える技術(インストラクショナルデザイン)や学校教育について

【読んだ】5段落エッセイ指導で日本の子どもが変わる!

松本輝彦『5段落エッセイ指導で日本の子どもが変わる!』(リーブル出版、2015)を読んだので、その記録です。

 

本の概要

アメリカに長く滞在し、日本人補習校で働きながら、現地校に通う娘たちの子育ても経験してきた著者が、日本の教育では明確に行われない「文章の書き方」の教育について自身がどのように取り組んできたかを解説しています。

日本とアメリカの「書き方」教育の比較から、著者自身の日米での実践記録とその結果、そして巻末には具体的なエッセイの書き方の解説やテーマ集まで書かれた、実践的で非常に参考になる本です。

著者のメソッドは小学生~大学生まで有効であり、海外大学の受験や大学での学習に必要不可欠な「ハイレベルな文章を書く力」が身につくものだということです。

 

この記事では、著者が実践してきた「エッセイの書き方」を簡単にご説明し、そのあと本書で紹介されている「アメリカの教育」「日本の教育」「両者の教育の比較」についてそれぞれ考えたことをメモしておきます。「自分が子供たちに「国語」や「書き方」を教えるとしたら」という目線で読みました。

 

 

エッセイの書き方

ブレインストーミング

あるテーマを提示し、それについて思いつくことを単語や短文でマインドマップ状に書き出す。生徒が複数人いる場合、「ディスカッション」としてお互いにアイデアを交換し合ってもよい。この際、大人が特定の答えを教えるような言葉がけは行ってはいけない(子供がそこにとらわれてしまうため)

②意見をまとめる

ブレストした結果をまとめたり、紐づけたり、重要なものを選んだりして、3つの内容に絞る。

③書く

1段落目…「~は~だ。理由は、~、~、~だ」など、テーマと②の内容を羅列する。

2~4段落目…②の内容をひとつずつ書く。「1つの段落に1つの内容」というルールを守る。

5段落目…「よって~は~だ」など、全体をまとめなおす。

 

アメリカの教育について考えたこと

予習課題の出し方

p27~アメリカの小学生の予習用のプリントは、学習範囲の文章を何度も行ったり来たりして答えを探さなければいけないように設計されている。次の授業は、予習用プリントの内容を理解した前提で行われ、クラス全員で教科書を読む時間をディスカッションに充てる。

→教員が予習課題を出すときに、単に「本文を読んできなさい」と言っても誰も読まないし読んだとしても頭に入らないだろう。

・本文を読んで、何を知ってきてほしいのかを事前に絞る
・何度も本文を読み返す仕掛けの質問事項にする

以上を踏まえてプリントを作成するなどし、予習~授業を設計していきたい。

Show & Tell

p44~幼稚園から「人前で話すこと」「人の話を聞くこと」のトレーニングが始まる。「質問はありませんか」という声掛けの上で、感想を言っただけの生徒には「それは質問ではなくコメントでしょ」など注意をし、質問とコメントの違いを体で学んでいく。

→聞く態度、聞く練習については日本での教育レベルは非常に高いように思う。小学校高学年になれば、知らない人の長い話であっても静かにおとなしく聞くことができる。こまめにフィードバックが行われトレーニングが重ねられているので、より高いレベルの「聞く」トレーニングとして「質疑応答」を考えたい。

日本では誰かが発表したあとは、聴衆にあまりリアクションを求めない。せいぜい拍手して終わりである。形式的に「何か質問はありませんか」と言ってもだんまりが多い。

また「質問」と「コメント」の違いは、日本の教育ではあまり意識されていない。自分なりに定義するとしたら、

質問…Yes/Noで答えられるもの、なぜ/なに/どのように/どこで、など
コメント…感想、思ったこと、考えたこと

子どもたちに何か発表させる際は、言わせっぱなしではなく「質問はあるか」などの声掛け形式化し、事前に「質問」と「コメント」の違いを説明したうえで、それらの違いを認識できるよう指導していきたい。

 

日本の教育について考えたこと

 

やらせるだけでは勝手に身につかない

p64日本では「書き方」を教えずに作文や志望動機を書かせようとする。「子供の書く力は日常の学習の中で自然に身につく」と考えられているようだ。

→「書き方」についてももちろん言えるし、ほかのことも「やらせれば勝手に身につく」という考え方が当てはまるのではないかと思う。例えば、やり方も教えずとにかくプレゼンやグループディスカッションをさせたり、誰も教えられないのにプログラミング必修化したり、プロでない教員が根性論で部活の活動時間ばかり伸ばしたり、私の出身校では毎日とにかく3km走らせるという制度もあった。

走り方が分からず、学校指定の自分の足に合っているわけでもない靴でアスファルトの高低差もある場所を走るため、ひざや腰を故障する生徒が続出していた。

教える方の義務を果たさず、「とにかくやってみろ」は大きな間違いだと思う。

やり方も分からず回数を重ねても、何も学ばないばかりか、嫌になったり体を故障するなど弊害まで表れることもある。

山本五十六よろしく、「やってみせ、言っ聞かせ、させてみせ、ほめやらねば、人は動かじ」である。教えて、やらせてみて、練習してフィードバックしてできるようになって、初めて「知識」と「技能」がそろい、「学び」になると思う。

 

アメリカと日本の教育を比較して考えたこと

理由があって初めて意見

p52バイリンガルの子どもに「リンゴすき?」など日本語で質問すると「うん」と言うだけで理由を言わないらしい。一方英語で「Do you line an apple?」と聞くと「Yes, because...」と理由を自動的に付けて話しだす。理由を尋ねると「現地校の先生がすぐにWhy?と聞くから。『理由があって初めて意見だ』とも言う」と。

→アクティブラーニングということで「生徒に活発に意見を言わせる」という光景は増えてきているのではないかと思うが、多くの場合「なぜそう思ったの?」という理由を追求することはなく、単に「言いっぱなし」になってしまっているように感じる。それでは「発言させること」だけが目的化してしまっている。

「自由に答えさせる」だけでなく、一言「なぜそう思ったの?」を突き詰めていきたい。

 分からせる責任は教え手/書き手にある

p130~生徒が「分からない」と言ったら、アメリカの教員は「ありがとう」といって別の説明を試みる。教えるときのお互いの態度として大きな違いがあり、日本は「聞き手が空気を読んで理解する」、アメリカは「お互いに意見を説明しあうコミュニケーションで成り立つ」。エッセイも「読み手の読解力不足」ではなく「書き手の説明責任」ととらえることが必要。

→「教えることは、互いに意見を出し合うコミュニケーションである」と気を付けていきたい。「分かりません」と言ってくれた生徒には感謝の意を示したい。「分からない方が悪い」と考えがちな人は、教え手に回るのは危険なのかもしれない。

「書く」ことを通しても、「書き手に責任がある」という態度は伝えていきたい。責任というと重く感じるけども、ここでは「工夫の余地がある方」という認識である。

「話す」ということをとっても、行事での長いお話やつまらない授業をしてしまったときに生徒が退屈そうにしていた場合、それは十分に大人のほうに「工夫の余地がある」のではないかと思う。

 

まとめ

実は、この著者の生徒であったという知人の紹介でこの本を読んだが、非常に内容が豊富で勉強になった。日本では「とりあえず書き出す」をしてしまいがちだが、その前に内容を考えつくし(ブレスト)、内容をまとめてから書く、という習慣を私自身身に着けていきたい。

そして、「書き手の責任」を意識しながら、ブログの内容も磨いて行きたいと思う。

【読んだ】アメリカギフテッド教育最先端に学ぶ 才能の見つけ方 天才の育て方

石角友愛『アメリカギフテッド教育最先端に学ぶ 才能の見つけ方 天才の育て方』(文芸春秋、2016)を読みました。その記録です。

 

本の内容

誰向けに、何を、どのように書いた本か

我が子を天才に育てたい親御さん向けに、

「どのようにすれば我が子の才能をつぶさずに育てられるか」を、

アメリカの天才教育の事例紹介を中心に解説した本です。

 

著者自身も子育てに大変熱心な親御さんで、「我が子に最適な教育環境を用意したい」そして「同じ思いの方に情報提供したい」という熱意が強く伝わってきました。

以下、教員の立場で内容に少し触れたいと思います。

 

いろんな「才能の芽をつぶさない方法」を知った

本書はあくまで「我が子を天才にする本」ではなく、「いかに才能の芽を発見し、つぶさずに育てていくか」について書かれた本です。

アメリカで発見され、活躍している様々な天才たちの事例や、天才児向けの具体的なテスト・スクール・webサイトなどが紹介されています。

アメリカの事例が主に紹介されていることもあって日本語のサイトやスクールの紹介はあまりありませんが、もし英語ができたとしたらこのような手段があるのだと分かりました。

中学生高校生に指導する場合であればある程度の英語の素地はあるはずなので、本書で紹介されているような小学生の天才児向けの教材は使えるかもしれません。

 

ギフテッド(天才)の子に起こりうる悲劇

ギフテッドの基準は複数ありまちまちであるものの、人種や家の経済状況によらず全体の10%ほどいるとあります。

適切なフォローを受けた場合の成功例が多々紹介されていますが、本書では深く触れられていない「ギフテッドの子供たちがもし適切なフォローを受けなかった場合の悲劇」を考えてみました。

同じレベルで話せる友人ができにくい

ギフテッドは、同年齢の子供たちと比べて論理的であったり物事を早く学んだり記憶力が良かったりします。

そうなると単純に周りと理解度や興味を持つレベルが違って、話が合わなくなります。例えば日本のように同年齢で固められるばかりだと、同じレベルの子は10人に1人なわけですから、そうでない場合と比べ、自分に合う子を探すのが難しくなるでしょう。

才能を「ひけらかす」と言われる

日本では「能ある鷹は爪を隠す」ということわざがありますが、才能がある人がそれを活かす道を探る姿より、隠すほうが美しいとされる傾向があるように思います。

その難しい塩梅をくぐって、人に合わせつつ、才能を活かすというのが最高の状態ではありますが、そんなに社会的な能力が高い子どもがいるでしょうか?

強いまじめさや集中力から成果をあげると、周りの子供たちは「ずるい」と言うでしょう。そして多くの教師は、才能を「ひけらかした」子供は無視し(むしろ叱ったり注意したりし)、「ずるい」と言った子供たちを慰め、励ますのです。

親や教師がIQが低く知識もない場合

IQの差が大きいと、話が通じません。内容だけでなく、テンポが違うと感じるようです。一番身近に自分を支えてくれるはずの大人が自分よりIQが低い人ばかりだった場合、会話が通じずに「よく分からない」「手に負えない」「生意気」と問題児のレッテルを貼られてしまうかもしれません。

親や教師に「もしかしたらギフテッドの子なのかも?」という知識がなければ、「ダメなこざかしい問題児」という辛い評価を背負っていかなければいけません。もちろん褒められることなんてありえません。

適切な環境も与えられないまま、評価されずむしろ問題児扱いされて、追い詰められて自信を無くして生きていくのでしょう。

親や教師は「どういう特性がある子はギフテッドか」を知り、「彼らを専門的に支援できる環境があること」を知っておくべきだと考えます。

 

教員としてギフテッドの生徒にできること

様々な賞やコンテストにチャレンジさせる

ギフテッドの才能の芽は誰かが発見しなければ簡単につぶされてしまいます。むしろ環境によってはより自信を失ったり、居場所をなくして孤独を味わったりすることもあるでしょう。

そこで、賞やコンテストに挑戦しないか提案します。結果が出れば大きな自信となりますし、結果が出なかったとしても「同じ嗜好や考え方の人がいるんだ」と感じられれば、孤独感もぬぐうことができるのではないでしょうか。 

また、様々な賞の存在を示し、チャレンジするための目標を一緒に作ったりと、子供たちがやりがいや自信を感じられるきっかけづくりのお手伝いはできるのではないかと思います。

才能の偏りがある仲間を紹介する

彼らが幸せになるように導く!とまで責任は持てませんが、彼らの才能をよく観察し、才能に偏りがあるのであれば同じような仲間がいる環境を一緒に探すことはできるのではないでしょうか。

子どもたちは「家か学校か」という世界にとらわれてしまいがちです。大人が積極的に世界の広さを伝え、自分に合う環境が必ずどこかにあることを伝えていきたいと思います。 

 

さいごに

学校で集団教育をしているとつい「授業についていけない子」に目が行きがちで、その子たちのフォローを優先するあまり、ギフテッドのような子供たちは放置され、その才能の芽が見つからないまま時間が過ぎてしまうことは往々にしてあると考えています。

「ギフテッド」を大人がうまく発見し、背中を押してあげれば、人類にとっても大きな成果をもたらす可能性があります。彼らについて知っておくことは、教師にとって重要です。

子どもたちはひとりひとり様々な支援を必要としているということを知るためにも、本書は一読の価値があると思います。

おまけ

アメリカの小学生ギフテッド向けの教育として行われているのが「プログラミング教育」だそうです。

2020年から「小学校プログラミング必修化」が行われるということですが、日本の全小学校で全生徒向けにプログラミングをさせるというプランはあまりに無茶なのでは…

【IQ131?】メンサのweb模擬試験受けてみた

天才たちの国際グループ「メンサ」

メンサって知ってますか?

MENSA(メンサ)とは、1946年にイギリスで創設された、全人口の内上位2%のIQ(知能指数)の持ち主であれば、誰でも入れる国際グループです。

https://mensa.jp/about.html

 とのこと。メンサは合格基準のIQは公開していませんが、ネット上では

・大体IQ130以上

・試験で全問正解

だと入れるという表記が多いです。

 

普通教育からこぼれた子たちの支援をしたいなあと思ってこちらの本↓を読んでいて、「各国の天才が見いだされる数」の比較として「メンサの会員数」が使われていたので、興味を持ってちょっと調べてみました。 

才能の見つけ方 天才の育て方

才能の見つけ方 天才の育て方

 

 

メンサの会員になるには「会員試験」を受けなければならず、しかしそのテストの予約が毎回すぐにいっぱいになってしまうので、国内ではテストを受けるのさえ難しいとのこと。また受験料として1万円ほどかかるようです。

「そもそも受けられないけど、いきなり受けてダメだったら超ダサいな~」

「英語とか使うんだったらちょっと勉強しないとな~(ノリ気)」

と思って調べてみると、

ノルウェーメンサの公式webテスト(無料)を発見しました。

Mensa IQ Test

トップページは英語ですが、年齢層を選んで試験開始するとあとは図形問題ばかりで英語は必要ありません。

この記事は、こちらのテストを受けてみての結果・感想・疑問を書いていきます。

 

結果

1回目…IQ131

スクショがないので言いっぱなしですみません。

「とりあえず」でスタートしてしまったので、実は時間制限があることとかどんな内容かとか全く分からずに始めてしまいました。

前半は問題が単純で簡単ですが、確認しつつのんびり解いていたら85%ほど解いたところでタイマーの存在に気付きました。急に焦りだしたものの途中で時間切れ。

結果はIQ131。「上位98.?%より上です」みたいな表記が出ていた気がします。

IQ130~が入れる可能性が高いということなので、入れるか入れないかのギリギリラインです。点数は分からないし答え合わせはできません。

時間制限に途中で気づき最後まで解けなかったので、「もう一度受けたら結果はどうなるか?」が気になって、直後にもう一度テストしてみました。

 

2回目…IQ135

2巡目してみると、問題は1巡目と全く同じことがわかりました。ということで前半はどんどん解いていきます。終盤になって初めて解く問題がやっとでてきてワクワク…したものの。

「解けない」

後半になるにつれて(体感では)難しくなっていったので、最後のほうは分かったり分からなかったりという状態でした。結果はIQ135。

全く同じ問題を2巡したのもあるので、IQ135もないと思います。

 

感想

パターンがあるので練習できる

最初のほうにも述べましたが、こちらの試験は図形問題のパターンを読み取るものだけです。もともとのIQは関係なく、問題集なんかでパターンを練習すれば解けるようになるかも?と思いました。

ひらめきの速さがIQの高さ?

練習できるとはいえ、時間制限という枠はあります。

巷では「反射的に答えられる能力なんてナンセンス」「ゆっくり考えて答えを出すほうがいい」なんて言われることもありますが、このテストを受けてみてひらめきの速さは頭の良さ(IQ)を測るのに有用なのかな?と思いました。

授業を組み立てるときに評価軸を考えるかと思いますが、「知識や考え方を身につけられているかどうか」の確認に「短時間で答えられるかどうか」という判断軸を用いるという考え方は正しいのかもしれない、と思いました。

上位数%の感覚はリアル

個人的には上位数%に入るけれどもメンサに余裕で入れるわけではない、という数値がやけにリアルでした。

上位2%と言っても学年に200人いれば4人は該当するわけです。
実際高校までは学年で1~3番目だったしそんな感じかなと。

また同時に、「この世の中は自分よりIQ低い人だらけ」という結果に少し怖くなりました。具体的には言いませんが、そういう人たちの下につくことの恐ろしさです。まだ若いので、いろんな理不尽な経験もしてきました。あの人たちのIQはいくつだったんだろう。ばかめ!!(私怨です失礼しました)

今後もそういうことが続くのかなあ。メンサでは「頭の回転が速い人はつい早口になってしまうから、ゆっくり話すといいよ」などの現実的なアドバイスもあると聞きます。

 

疑問

こんなテストでIQがはかれるのか?

こんなテストでというと失礼だし、この簡易テストが実際の詳細なIQ検査結果とどのくらいの相関があるのかまで分からないのですが、

まず知能指数を測るにしては時間も問題数も少ない。制限時間は25分だし、問題も35問しかない。「知能を測る」にしてはあまりに簡易的なのではないかと。

また単純に謎解きやパズルが好きな人はこういう問題が得意なのではないかと思いました。IQより慣れの問題です。

ただ、

・後半に行くにつれて難しさが上がった(ように感じた)

・分からない問題を思わず写メったけど、確かにいまだにわからないものもあってさらに高いIQが存在することを感じさせる

ことから、ある程度計算され、根拠のあるテストなのかなあとも思いました。

本当に私がIQ130もあるのか?

東大生の平均IQ120とか言いますよね。じゃあ私めっちゃすごくない?

と思ったのですが、ほかの人の試験結果はどうなんだろう?

ツイッターで「メンサ」「mensa.no」で検索してみたのですが、IQを公開している人のほとんどがIQ131とかIQ135です。ちらほらとIQ117の方やIQ124の方がいらっしゃる状況。

結果が悪かった人が公開せず、よかった人が喜んで公開しているということも考えられますが、母数を考えると中間層の人がもっと公開していてもおかしくないはずです。

ということは、

→この試験はメンサが意図的に良い結果になるようにしている?

→それはなぜか?受験料を獲得するため…?

→しかし、受験料がほしいなら、「人生で3回だけしか受験できない」と制限する必要がないのでは…

などとも邪推しています。

 

みんな受けてみて結果教えて

少し時間を取りますが、興味を持っていただいた方がいたらぜひ受けてみてほしいと思います。そして結果をコメント等で教えてください。

実はみんながIQ130超えだったら、みんなでメンサはあきらめましょう。笑

test.mensa.no

あとExcersise 32,33,34がいまだに分からないので悔しい。誰か教えて~

【優等生の実態とは?】小中高と優等生だった私が経験した良かったこと悪かったこと

優等生とは、何だと思いますか?

あなたは優等生でしたか? あなたの周りに優等生はいましたか?

優等生は、学生時代はとても目立ちます。

学生時代は家と学校の往復のみの生徒がほとんどで、そのうちの長い時間を過ごす学校では、みんな共通で「学力」という軸で評価判断されるからです。その「学力」が抜きんでて良いとすると、いやがおうにも目立ちます。

そして、多くの人は彼ら優等生に次のような言葉をかけるのではないでしょうか。

「お前は勉強できるからいいよな、俺なんて…」
「優等生だからって社会でやっていけるとは限らないよ」

優等生は自らの経験をあまり語りません。語ってもしょうがないからです。「自慢」と取られたり、よくわからない人が出てきて「社会の厳しさをお説教」されたりするのが関の山です。

 

では実際、優等生たち本人はどういった経験をしてきたのでしょうか?

 

今回は、かつて「優等生」だった私※が実際に経験してきた「良かったこと」「悪かったこと」そして「変わらなかったこと」を紹介します。

※成績は小学校で学年2番目、中学校で学年1番目、高校で学年3番目。小中高と生徒会長でした。

 

 

小説や漫画で優等生キャラを描く際のご参考にもどうぞ。

 

優等生でよかったこと

「できる人」という周りのイメージにだいぶ助けられる

勝手に「できる人」と思ってもらえるのはとても楽です。

周りと変わらないことをしていたとしても、なぜか周りが錯覚して「この人はできる(から何か理由があるはず)」と無意識に優秀な理由探しをしてくれるんですね。

具体的には…

・友達ができやすい

相手には、初対面でゼロスタートではなく、すでに「優等生の○○さん」というプラスのイメージがまずインプットされているので、愛想さえよければ「いきなり嫌われる」「いきなり軽視される」ということはほぼありません。
むしろ「いきなり尊重される」ので、とても友達を作りやすい環境です。

よく知らない後輩(同性)になぜか憧れられているという現象もあって、もちろんまんざらでもありません。

・成績が上がりやすい

特に平常点では顕著です。

成績といっても、現状では教員が主観的に数字をつける部分も大きいです。特に平常点は「日頃の授業を受ける態度」というよく分からない評価基準です。じゃあ一クラスずつ成績をつけていったときに、誰かは良い、誰かは悪い、とすると…無意識に「優等生の○○さん」は良いほうに割りふられてしまうわけです。

また、テストであっても「優等生の○○さんが解けなかったということは問題が間違っていたのでは?」と謎の思考が働いたこともあると、当時の教員に聞いたこともあります。(問題は間違ってなかった、単に私が間違えていた)

・何かと選ばれやすい

生徒会長でした!部長でした!と今でこそ一周回って(半分ネタとして)アピールしますが、これこそ「優等生キャラだから」選ばれやすかっただけだと思います。

リーダーシップを取る仕事を任せてもらえたのは貴重な体験でしたが、本来「学力」と「リーダーシップ」は関連性はありません。

先生としては「苦労して作った授業やテストにいい反応をくれる」という切実なところがあって、反応のない生徒と比べたらかわいいのでしょうけどね。

 

優等生で悪かったこと

・嫉妬で傷つけられる

学力があるからといってメンタルが強いわけではないわけです(みんなとイッショ、私も豆腐メンタル)。

しかし目立つが故なのか、優等生は叩いてもいいと思われているようで、心無いセリフを当たり前に言われるのです。

「どうせお前はできるからいいよな」←嫌味

「お前おったらおもんないからあっち行っといて」←仲間外れ

ほかにも、

なぜか自分のテストの点数が知らない人にまで言いふらされていたり、
自分よりテストの点数がよかった人が「お前に勝った!」と嬉しそうに言いにきたり。

プライバシーとは…とか、私は誰とも比べてないし誰にも「お前らに勝った!」とか言わないのに、こんな風に言いふらされるのか…と落ち込んでいました。

しかし、優等生の悲しいのはここからで、これを相談しても

「嫉妬してるんだよ^^」「うらやましいんだよ^^」と。

人のテストの点数を失礼にも言いふらしたり、相手の点数をコケにしている人たちの気持ちには寄り添って、優等生の「つらかった」「嫌だった」気持ちには誰も寄り添ってくれないのです。

・大人扱いされてやりたいことを我慢させられる

優等生はほかの生徒に比べてなんとなく「大人」に見えます。でもここでも冷静になると分かるように「学力」と「精神的な成熟度」は関連性はありません。5歳児でも公文で訓練すれば因数分解できるわけです。でも彼らも友達と喧嘩すれば大声で泣いちゃうわけです。

例えば、宿泊行事の班決めで先生が「自由に組んでいいよ」と言われると、10歳の私ももちろんほかの生徒と同様にウキウキするわけです。ところが、ある女の子が泣き出すわけです。

「○○ちゃん(私)とじゃないと嫌」

すると困った先生は一言、

「○○さん(私)、あの子のグループに移ってあげて」と。

自由に組んでいいと言われてウキウキしたわけです。大好きな友達と組めてルンルンだったわけです。そこでこの残酷な一言です。私だって大好きな友達とじゃないと嫌だ!!!!

…という言葉を全部こらえて、「はい…」と言って、グループを移り、泣いている子を慰めたのでした。10歳児の出来事です。

 

ほかにも、「新任の先生が○○部の顧問を持つんだけど、頼りないから○○さん(私)がその部活に入って部長やってくれない?もう新任の先生には○○さんに任せておけば大丈夫って言っておいたから」と言われて、「えぇ…」となったこともあります。

いや新任の先生がしっかりしろよ…小6に任せるなよ…私は一輪車部に入りたかったのに…と思いつつ、「はい…」と言っていました。

・調子に乗るな勢が湧いてくる

何回も言いますけど「学力」と「精神的な成熟度」は関係ないわけです。

したり顔のおじさんが「今はいいかもしれないけど、あまり調子にのってはいけないよ」とか言われても混乱するのです。

ただその時はやれと言われたことを一生懸命こなしているだけなのに、そうしていると「調子に乗っている」と言われると。じゃあどうすればいいんだと。

「俺だけが言ってあげているおじさん」と呼んでいるのですが、まだ未熟な人に対してそういうことを言える立場だと思っていること自体が未熟だし調子に乗っています。あなたが今ご意見するべきなのは、子供や後輩ではなく、上司や先輩、そして自分自身ではないでしょうか。

自分の子供や自分が指導する生徒には、こういう「俺だけが言ってあげているおじさん」は近づかせたくないなと思っています。

こういう人は決まって「こういうこと言ってくれる人は大事にしたほうがいい(=俺を大事にしろ)」とか平気で言っちゃうので、真に受けて気を使ったりせず、距離を置くようにしてください。

 

変わらなかったこと

恋愛は下手な人は下手

変わらなかったもので大きいのは「恋愛」です。

優等生だからと言って「月がきれいですね」とか言うわけないんですね。実際に本気で言ってたらちょっと引くし。

もちろん優等生ということで「一目置いてもらえる」みたいなのはあるんですが、「好きにまでなるかどうか」は全くの別次元のお話です。

まあ一番の黒歴史は「今来たメール444通目だった!死ね死ね死ねか、幸せ幸せ幸せのどっちかな?!」と好きな子にメールして、返事が来なくなったことですね。当時はトチ狂ったメールして本当にごめんなさい。

まとめ

いかがでしたでしょうか。意外な内容もありましたか?

 

小説や漫画を作る方

巷の優等生キャラとは少し違ったリアルな実態を想像できましたでしょうか。

教員の皆様

ぜひ自分の中に「優等生だから正しいであろう」「優等生だから大人扱いしてもいいだろう」という錯覚があることを知ってください。生徒はどんなに大人に見えても、全員大人からサポートを受けるべき子供です。優等生の生徒は助かる存在ですが、いつもゼロスタートで。

世の中の皆様

優等生はラッキーな部分も多いですが、やはり嫌な経験も皆様と同様にしてきています。どうぞお手柔らかにお願いいたします。