ある教える人の頭の中

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【優等生の実態とは?】小中高と優等生だった私が経験した良かったこと悪かったこと

優等生とは、何だと思いますか?

あなたは優等生でしたか? あなたの周りに優等生はいましたか?

優等生は、学生時代はとても目立ちます。

学生時代は家と学校の往復のみの生徒がほとんどで、そのうちの長い時間を過ごす学校では、みんな共通で「学力」という軸で評価判断されるからです。その「学力」が抜きんでて良いとすると、いやがおうにも目立ちます。

そして、多くの人は彼ら優等生に次のような言葉をかけるのではないでしょうか。

「お前は勉強できるからいいよな、俺なんて…」
「優等生だからって社会でやっていけるとは限らないよ」

優等生は自らの経験をあまり語りません。語ってもしょうがないからです。「自慢」と取られたり、よくわからない人が出てきて「社会の厳しさをお説教」されたりするのが関の山です。

 

では実際、優等生たち本人はどういった経験をしてきたのでしょうか?

 

今回は、かつて「優等生」だった私※が実際に経験してきた「良かったこと」「悪かったこと」そして「変わらなかったこと」を紹介します。

※成績は小学校で学年2番目、中学校で学年1番目、高校で学年3番目。小中高と生徒会長でした。

 

 

小説や漫画で優等生キャラを描く際のご参考にもどうぞ。

 

優等生でよかったこと

「できる人」という周りのイメージにだいぶ助けられる

勝手に「できる人」と思ってもらえるのはとても楽です。

周りと変わらないことをしていたとしても、なぜか周りが錯覚して「この人はできる(から何か理由があるはず)」と無意識に優秀な理由探しをしてくれるんですね。

具体的には…

・友達ができやすい

相手には、初対面でゼロスタートではなく、すでに「優等生の○○さん」というプラスのイメージがまずインプットされているので、愛想さえよければ「いきなり嫌われる」「いきなり軽視される」ということはほぼありません。
むしろ「いきなり尊重される」ので、とても友達を作りやすい環境です。

よく知らない後輩(同性)になぜか憧れられているという現象もあって、もちろんまんざらでもありません。

・成績が上がりやすい

特に平常点では顕著です。

成績といっても、現状では教員が主観的に数字をつける部分も大きいです。特に平常点は「日頃の授業を受ける態度」というよく分からない評価基準です。じゃあ一クラスずつ成績をつけていったときに、誰かは良い、誰かは悪い、とすると…無意識に「優等生の○○さん」は良いほうに割りふられてしまうわけです。

また、テストであっても「優等生の○○さんが解けなかったということは問題が間違っていたのでは?」と謎の思考が働いたこともあると、当時の教員に聞いたこともあります。(問題は間違ってなかった、単に私が間違えていた)

・何かと選ばれやすい

生徒会長でした!部長でした!と今でこそ一周回って(半分ネタとして)アピールしますが、これこそ「優等生キャラだから」選ばれやすかっただけだと思います。

リーダーシップを取る仕事を任せてもらえたのは貴重な体験でしたが、本来「学力」と「リーダーシップ」は関連性はありません。

先生としては「苦労して作った授業やテストにいい反応をくれる」という切実なところがあって、反応のない生徒と比べたらかわいいのでしょうけどね。

 

優等生で悪かったこと

・嫉妬で傷つけられる

学力があるからといってメンタルが強いわけではないわけです(みんなとイッショ、私も豆腐メンタル)。

しかし目立つが故なのか、優等生は叩いてもいいと思われているようで、心無いセリフを当たり前に言われるのです。

「どうせお前はできるからいいよな」←嫌味

「お前おったらおもんないからあっち行っといて」←仲間外れ

ほかにも、

なぜか自分のテストの点数が知らない人にまで言いふらされていたり、
自分よりテストの点数がよかった人が「お前に勝った!」と嬉しそうに言いにきたり。

プライバシーとは…とか、私は誰とも比べてないし誰にも「お前らに勝った!」とか言わないのに、こんな風に言いふらされるのか…と落ち込んでいました。

しかし、優等生の悲しいのはここからで、これを相談しても

「嫉妬してるんだよ^^」「うらやましいんだよ^^」と。

人のテストの点数を失礼にも言いふらしたり、相手の点数をコケにしている人たちの気持ちには寄り添って、優等生の「つらかった」「嫌だった」気持ちには誰も寄り添ってくれないのです。

・大人扱いされてやりたいことを我慢させられる

優等生はほかの生徒に比べてなんとなく「大人」に見えます。でもここでも冷静になると分かるように「学力」と「精神的な成熟度」は関連性はありません。5歳児でも公文で訓練すれば因数分解できるわけです。でも彼らも友達と喧嘩すれば大声で泣いちゃうわけです。

例えば、宿泊行事の班決めで先生が「自由に組んでいいよ」と言われると、10歳の私ももちろんほかの生徒と同様にウキウキするわけです。ところが、ある女の子が泣き出すわけです。

「○○ちゃん(私)とじゃないと嫌」

すると困った先生は一言、

「○○さん(私)、あの子のグループに移ってあげて」と。

自由に組んでいいと言われてウキウキしたわけです。大好きな友達と組めてルンルンだったわけです。そこでこの残酷な一言です。私だって大好きな友達とじゃないと嫌だ!!!!

…という言葉を全部こらえて、「はい…」と言って、グループを移り、泣いている子を慰めたのでした。10歳児の出来事です。

 

ほかにも、「新任の先生が○○部の顧問を持つんだけど、頼りないから○○さん(私)がその部活に入って部長やってくれない?もう新任の先生には○○さんに任せておけば大丈夫って言っておいたから」と言われて、「えぇ…」となったこともあります。

いや新任の先生がしっかりしろよ…小6に任せるなよ…私は一輪車部に入りたかったのに…と思いつつ、「はい…」と言っていました。

・調子に乗るな勢が湧いてくる

何回も言いますけど「学力」と「精神的な成熟度」は関係ないわけです。

したり顔のおじさんが「今はいいかもしれないけど、あまり調子にのってはいけないよ」とか言われても混乱するのです。

ただその時はやれと言われたことを一生懸命こなしているだけなのに、そうしていると「調子に乗っている」と言われると。じゃあどうすればいいんだと。

「俺だけが言ってあげているおじさん」と呼んでいるのですが、まだ未熟な人に対してそういうことを言える立場だと思っていること自体が未熟だし調子に乗っています。あなたが今ご意見するべきなのは、子供や後輩ではなく、上司や先輩、そして自分自身ではないでしょうか。

自分の子供や自分が指導する生徒には、こういう「俺だけが言ってあげているおじさん」は近づかせたくないなと思っています。

こういう人は決まって「こういうこと言ってくれる人は大事にしたほうがいい(=俺を大事にしろ)」とか平気で言っちゃうので、真に受けて気を使ったりせず、距離を置くようにしてください。

 

変わらなかったこと

恋愛は下手な人は下手

変わらなかったもので大きいのは「恋愛」です。

優等生だからと言って「月がきれいですね」とか言うわけないんですね。実際に本気で言ってたらちょっと引くし。

もちろん優等生ということで「一目置いてもらえる」みたいなのはあるんですが、「好きにまでなるかどうか」は全くの別次元のお話です。

まあ一番の黒歴史は「今来たメール444通目だった!死ね死ね死ねか、幸せ幸せ幸せのどっちかな?!」と好きな子にメールして、返事が来なくなったことですね。当時はトチ狂ったメールして本当にごめんなさい。

まとめ

いかがでしたでしょうか。意外な内容もありましたか?

 

小説や漫画を作る方

巷の優等生キャラとは少し違ったリアルな実態を想像できましたでしょうか。

教員の皆様

ぜひ自分の中に「優等生だから正しいであろう」「優等生だから大人扱いしてもいいだろう」という錯覚があることを知ってください。生徒はどんなに大人に見えても、全員大人からサポートを受けるべき子供です。優等生の生徒は助かる存在ですが、いつもゼロスタートで。

世の中の皆様

優等生はラッキーな部分も多いですが、やはり嫌な経験も皆様と同様にしてきています。どうぞお手柔らかにお願いいたします。